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2019年11月22日

三重県・津市一身田赤線(遊郭)跡







一身田・大勢楼


11月って、こんなに寒かったっけ?って思う寒い朝。
始発で名古屋を発ち、高田本山駅で降ります。
ここで降りたのは3人だけ。
日曜日の早朝なので、こんなものかもしれません。
無人の駅舎を出て振り返ると、大きな朝日が、踏切の向こうに上ってくるところでした。


一身田・高田本山駅の朝


寒々しい駅からの一本道をひたすら歩いて、10分ほどたったころ、小さな川に赤い橋がかかった場所に通りかかりました。
その橋のたもとに、ひとりのお姉さんが人待ち顔で立っていましたので、お尋ねしてみました。
『昔、このあたりに大勢楼ってお店ありませんでしたか?』
『たいせいろう!』
お姉さんの大きな声が帰ってきました。
『あったよー。あった。
あそこの角をあっちに(と、左に腕を振りながら)曲がると、ここと同じような赤い橋があるんさー。
その向こう側にあったよ!』
『大勢楼さんは、遊郭みたいなお店でしたか?』とぼく。
『そうそう。あのへんは遊郭だったよ』とお姉さん。
お姉さんは、他にも昔のことや今日のお祭りのこと(今日は一身田のお祭りの日でした)などいろいろ教えてくれました。
これから姉妹と待ち合わせてお祭りの準備に行くというお姉さんにお礼を言って別れたぼくは、先に歩を進めました。


一身田・遊郭に入る赤い橋


お姉さんが教えてくれたとおり、角を左に曲がり歩いて行くと、赤い橋がありました。
遊郭の手前に橋があることが多いのは、皆さんもご存じの通りですね。
もともと、一身田は古い街並みが多く残っているのですが、このあたりは特に古い家が残っている気がします。


一身田・橋向の街並み
妓楼ではないが、古い家が並ぶ。


ただ、古い建物が多すぎて、どれが大勢楼なのか、どれが妓楼跡で、どれが民家なのかわからないので困りました。どれも妓楼に見えてくるんですよね。
そんなときに、ちょうど家の前を掃除していらっしゃるお姉さんがいました。
お尋ねしてみたところ、お姉さんは大勢楼を知っており、教えてあげようと、ぼくの前に立って案内してくれたのです(こちらのお姉さんは、だいせいろうと言っていました)。


一身田・福勢楼のあったあたり


上の写真の右側の奥が福勢楼があったところです。
もうお店は取り壊してしまって広い駐車場になってしまっています。


一身田・妓楼だった家


そして、屋号は忘れてしまったそうですが、上の写真の家も妓楼でした。
二階の外れかけた雨戸から想像される通り、今は誰も住んでいません。


一身田・大勢楼の美しい姿


上の写真が、大勢楼。
ここは、なんと往時のままでした。
美しい佇まい。
見事な三層楼です。

下の写真、大勢楼の左が一月亭のあったところです。
もう、跡形もありません。


一身田・大勢楼と一月亭があったあたり


大勢楼の前には、いすずやさんという妓楼があったとお姉さんが教えてくれましたが、ここも跡形無しです。
いすずやさんはぼくにとって初耳の屋号でした。
橋のこちらからこのいすずやさんのところまでが、いわば遊郭でした。
ここでUターンして、もと来た方に戻ります。


一身田・妓楼だった家


あと、一軒、石寿楼というお店が一身田にはあったはずなので、お姉さんに聞いてみました。
すると、少し照れたように、
『ウチのことかな?』
と。
聞けばお姉さんの家も妓楼だったとのこと。
ただ、屋号は石寿楼ではない別の屋号でした(この時は気が付かなかったのですが、今思うと、いすずやが石寿楼なのかもしれません)。
『あの人も来たことがあるよ』
お姉さんの口から、とても有名な戦前の野球選手の名前が出てきました。


一身田・大勢楼


お姉さんの家は、なんと、築200年ぐらいの歴史のあるお店だったそうです。
でも、残念ながら取り壊してしまった後でした。
ちなみに、お姉さんが今も住んでいる家(店の後ろにあった)は築80年だとのこと。
大事に使っていらしゃるんですね。

いつの間にか、日が高くなり暑くなってきました。
お姉さんにお礼を言って別れると、ぼくは上着を脱いで、近くの神社に向かいました。
(2019年11月23日追記: 本文中では『いすずや』としておりますが、1965年の住宅地図によると美寿々家となっておりました。したがって、石寿楼とは別の妓楼のようです)


一身田・大勢楼


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一身田・寺内町の廃屋








一身田・妓楼に花が咲く
(2019年11月17日)
posted by ahoujin at 21:20| Comment(2) | 遊廓(三重県)

2019年11月16日

三重県・四日市市西新地 港楽園赤線(遊郭)跡







港楽園 三枡


久しぶりに四日市に来ました。
前に来たときは、国鉄の周遊券を利用しての旅行でした。
とんでもない昔のことです。

さて、『全国女性街ガイド』(カストリ出版)によれば、四日市には港楽園、春告園、港華園と3カ所の赤線があったといいます。
けれども、残念なことに春告園と港華園については、情報を集めきれず、どこにあるかがぼく自身確定できていません。
そういうわけで、今回は港楽園を歩いてきました。


港楽園の名前が残る電柱
港楽園の名前が残る電信柱がある。


ぼくにわかっている港楽園の屋号は以下の十四軒です。

蛭子
銀月
敷島
つくば
加茂川
歌月
水月
寿
錦水
第二寿
新杵
美駒
春駒
三枡


西新地・日活の映画館
現役の日活の映画館がある。


例によって、古い住宅地図を頼りに、街を歩きます。
とはいえ、四日市は大きな都市なので、昔日の街とはかなり様変わりしていそうです。
特に、港楽園は近鉄四日市駅に至近なので、さすがに当時の建物は残っていないのではないかとぼくが考えていたとしても不思議はないでしょう。


港楽園 雑居ビル


ところが!
港楽園と思われるあたりに来てすぐの路地に、ぼくに誘いかけてくる建物があるではありませんか!
それがトップのカラー写真の建物です。

灰黒色で塗りつぶされ、居酒屋の電飾看板を付けて印象を変えていますが、玄関わきのアールといい、窓枠の意匠といい、明らかにそれらしい風情です。
地図を見ますと、この建物があるあたりには三枡旅館という旅館がありました。
そして、港楽園には三枡というお店があったのは、前述の通りです。

思わぬ出会いに上気して写真を撮りまくっていると、この建物の玄関を開けようとする方がいらっしゃいました。
お声をかけてみると、ここは今は居酒屋だけど、古い旅館を改装して使っているとのことでした。
残念ながら、その方はこの旅館の元の屋号はご存じありませんでしたが…。
後刻、そのお店のブログを確認したところ、築60年の旅館を改装したと2017年の記事に書いてありました。
とすると1957年頃には、この建物はあったと思われます。
おそらく、ここが三枡で間違いないでしょう。


港楽園・三枡旅館跡
三枡旅館と思われる居酒屋。


古い住宅地図によれば、三枡旅館の奥にはクラブ花月があり、その奥に寿別館がありました。
今はビルが建っていますが…。
もしかしたら、花月は歌月であり、寿別館が第二寿だったかもしれません。
また、三枡の左斜め前には、寿司寿本店があり、右斜め前にはバー加茂がありました。
もしかしたら、寿司寿本店は寿であり、バー加茂が加茂川だったかもしれません。


港楽園・三枡周辺
三枡があったと思われる路地。


さて、三枡がある路地を出たところには旅館ゑびすがありました。
港楽園の組合長だった方がゑびすの経営者でしたが、ここがそのゑびすでしょう。
なお、現在、この付近一帯に同じゑびすという名前の大衆酒場グループがありますが、たまたま同名なだけで、港楽園のゑびすとは関係が無いようです。


港楽園・ホテル敷島
この付近に敷島があったと思われる。


上の写真のあたりにはホテル敷島がありました。
港楽園の敷島の後の姿でしょう。
そして、その奥、旅館春駒があったところには、まだ新しい東横インが建っていました。
赤線が旅館となり、その旅館の跡地に近代的なビジネスホテルが建つ。
決して珍しいことではありませんが、妙に心に残りました。


港楽園・東横インとゑびす
この付近にゑびすがあった。背後は東横イン

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西新地・料亭
西新地にある風情ある割烹料理店。







西新地・スナックひまわり
(2019年11月3日)
タグ:三重
posted by ahoujin at 21:23| Comment(0) | 遊廓(三重県)