2018年05月16日

岐阜県・羽島市竹鼻町 共楽園赤線(遊郭)跡 付・南寺内新開地のこと








三栄荘


竹鼻にはふたつの集娼地がありました。
ひとつは戦後の赤線である共楽園。
もうひとつは戦前の私娼街である南寺内新開地。

まずは、共楽園を訪ねました。
さきほど、共楽園を赤線と書きましたが、青線だとする書物もあります。
ただ、今回、お話を聞かせてくれた地元の方が赤線とおっしゃっていたので、この記事では赤線としました。


竹鼻・共楽園のアーチ


さて、共楽園の入り口は上の写真のあたり。
このあたりに共楽園のアーチがかかっていました(アーチの内側から外側を撮っています)。
売春防止法が施行され、共楽園が廃止されても、昭和37年ごろにはまだアーチは残っていたそうです。

入リ口、といっても実際に共楽園があったのはまだ向こう。
アーチをくぐり、一本目の筋をすぎたあたりから共楽園がはじまりました。
残念なことに、もう当時の建物は残っていませんが、いろいろな方からお伺いした話をもとに再現します。


竹鼻・共楽園一富士


上の写真はアーチをくぐって一本目の筋を過ぎたあたり。
まず、この道の左側、車が止まっているあたりに一富士さんがありました。
その右側には加茂川さん。
そして、加茂川さんの角を左に曲がります。


竹鼻・共楽園のんき


左に曲がったのが上の写真のあたり。
加茂川さんの右には、屋号不明のお店(どなたもはっきりと覚えてらっしゃらなかった家)がありました。
その右側にはへうたんろうさん。
ここで余談になりますが、このへうたんろうさんをやってらっしゃった方は、先ほどのアーチの傍らにあった”三の宮食堂”も経営されてたそうです。
なお、”三の宮食堂”は、今は経営者がかわり、”軽食・喫茶いなほ”の一部になっています(今の”軽食・喫茶いなほ”は、”三の宮食堂”と隣にあった店をひとつの店にしたものです)。
この”軽食・喫茶いなほ”もとても素敵な建物で紹介したかったのですが、お店の方のご希望により写真はありません。


竹鼻・共楽園を隔てる水路


さて、話を戻します。
へうたんろうさんの右は、屋号不明なお店。
そして、その右にあったのが新栄さんでした。
そして、手前のY字型の道にはさまれたところにあったのがのんきさん。
おおむね、こんな感じだったようでした。


竹鼻・川町菊水
川町


共楽園はわかりました。
しかし、もうひとつの目的地・南寺内新開地についてはぜんぜんわかっていません。
カストリ書房さんから復刻されている、内務省衛生局発行の『業態者集団地域ニ関スル調ベ』昭和九年十月版には竹ヶ鼻町の南寺内新開地として記録があります。
しかし、同じ本の昭和八年十月版、昭和十三年一月版、昭和十四年一月版には南寺内新開地は記録されていないのです。
そして、これらの版においては、同じ岐阜県の大垣市の項に、南寺内と新開町という南寺内新開地に酷似した名称の集娼地の記載があります。
ということはもしかすると、昭和九年十月版の竹ヶ鼻町の南寺内新開地という記載は、大垣の南寺内新開町とするべきところを内務省のお役人が誤って記載したのかもしれません。


竹鼻・下町
下町


そうなると、そもそも、戦前の竹ヶ鼻町に集娼地があったかどうかも怪しく感じられますが、昭和7年から昭和18年までの間、竹鼻には町営の花柳病予防代用診療所があったという記録がありますので、集娼地があったことは確かなようです。
しかし、いろいろな方に聞いてみても、南寺内新開地を知る人はいませんでした。
ぼくは、過去に芸妓置屋などがあった川町あたりに新開地があったのではないかと思っていましたが、聞いた人たちはみんな否定しました。
そして、戦前に歓楽街があったとしたら、それは川町よりももっと北にある栄町のあたりだろうと口をそろえて言うのです。


竹鼻・下町
下町


ぼくは、それでも自説をあきらめきれずに川町、そして春馬車さんにサジェストされた、タイルを使った家が散見される下町あたりをさまよいました。
しかし、新開地の痕跡は見つけることができませんでした。
そして、疲れ切って栄町に向かいました。


竹鼻・栄町待合春日乃
栄町


栄町も待合だった家や、料理屋だった家が残っています。
そして、ふと見上げた栄町の一角に立つ電柱には「新天地」という名前が残っていました。

新開地と新天地。
似ているようで全く違うふたつの地名ですが、ここが新開地だったのかも・・・と思いながら栄町を後にしました。


竹鼻・栄町


共楽園・行き方
名鉄竹鼻線竹鼻駅下車。駅前からまっすぐ南に伸びている道を約10分歩くと”喫茶・軽食いなほ”がある五差路に出ます。そこを左折したところが共楽園のアーチがあったあたり。


竹鼻・地図



参考ウェブサイト:

竹扇(羽島はレンコンの産地です!ここのレンコンかつ丼はうまい!)
http://chikusen.gozaru.jp/


にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村






竹鼻・栄町早川料理店
新天地
(2018年5月15日)
posted by ahoujin at 02:05| Comment(1) | 遊郭(岐阜県)

2017年10月06日

2017年9月30日 岐阜県・大垣市墨俣 夜城園遊郭跡







夜城園・東雲支店


墨俣を「すのまた」と読める人はどのくらいいるのでしょうか。
実は、ぼくは読めませんでした。
ずっと「すみまた」だと思っていましたね。
けれども、すのまたに行ってきたと職場で話題にしたところ、当然のようにみんな知っていました・・・。
常識、なのでしょうか・・・。


夜城園・入口


さて、墨俣には夜城園という赤線地帯(遊廓)がありました。
大垣市立図書館にある『墨俣町史』には昭和29年当時の夜城園の特殊軽飲食店リストが載っております。
また、同館には昭和35年頃の住宅地図(正確な年は不明)が所蔵されておりました。
この住宅地図と件のリストがあれば夜城園散策が手軽にできます。
さらに好都合なことに、墨俣に行くバスは図書館の真ん前のバス停を通ります。
ですから、ぼくはもちろんまずは図書館に向かい、そして資料を入手するとバスで墨俣へ向かったのです。


夜城園・東雲


墨俣の町は驚くほど昭和35年当時と変わっていませんでした。
もちろん、家々やお店は変わってしまっているのですが、道筋や社寺・学校などはほとんどそのままなので、昭和35年の地図でそのまま街を歩けるのです。
上の写真は、地図によると東雲というお店があったあたりです。


夜城園・世界長


上の写真は、世界長というお店があったところにあった石造りの門です。
はたして当時のものかどうかはわかりませんが、重厚ですよね。
そして、実は世界長さんは現役です。
広い敷地の一角に、「香笛 世界長」という喫茶店があるのです。
香笛は、なんとカフェと読むそうです。
残念ながら建物自体は最近の作りですが、歴史ある世界長さんでお茶を飲めるのは素敵ですよね。
ぼくが行ったときはあいにく定休日でした。


夜城園・東雲支店


上の写真は、東雲支店というお店があったあたりです。
長年にわたり空き家として放置されているため、建物がかなり老朽化しており、立ち入り禁止のカラーコーンが建てられていました。
草木にも侵食されつつあり、ご近所の方によると近いうちに取り壊しをするのではないかということでした。
もったいないことですが、どこの遊郭跡でも見られる現実ですね。


夜城園・東雲支店廊下


下の写真は、桝屋というお店があったあたりで撮影しました。
先ほどのお家と正反対に、このお家はとても素晴らしいコンディションです。
お住まいの方が建物を大事にしていらっしゃるのでしょう。
今さらなのですが、往時は特殊飲食店であっても、鑑札は「料理店」なのですね。


夜城園・桝屋鑑札


下の写真は同じお家の屋根の上の鯉です。
たぶん・・・。


夜城園・桝屋屋根


下の写真は、浪花というお店があったあたりです。
知識がないのでわからないのですが、シュロでしょうか。
エキゾチックな植物がいい感じですよね。
なお、この裏が堤防となっていて、犀川と長良川があります。


夜城園・浪花


下の写真は、昭和35年の地図ではサクラ温泉となっています。
こちらは夜城園ではなく、墨俣の街中なのですが、タイルが美しいですよね。
モノクロなのでわかりにくいですが、左下のタイル絵は、水色地にピンクで桜の花が描かれています。


墨俣・さくら温泉


夜城園・行き方
JR東海道線大垣駅下車。
大垣駅前2番乗り場より名阪近鉄バス岐垣線(岐阜聖徳学園大学行き)に乗車、約25分。
墨俣バス停下車。370円。
ぼくのように大垣市立図書館から行く場合は、スイトピアセンターバス停より名阪近鉄バス岐垣線(岐阜聖徳学園大学行き)に乗車、約30分。
墨俣バス停下車。410円。


夜城園地図


参考ウェブサイト:

岐阜県大垣市墨俣のんびりブログ(墨俣にお住まいの方のブログです)
https://blogs.yahoo.co.jp/ameriamary

墨俣地域まちづくり協議会(遊郭跡を生かしたまちづくりに期待したいです)
https://www.facebook.com/sunomatachiiki/

穂積 松琴亭(夜城園にあった松琴亭の支店だったというお蕎麦屋さんです)
https://tabelog.com/gifu/A2101/A210105/21000970/dtlrvwlst/B261243253/?lid=unpickup_review


にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村








夜城園・東雲支店壁面


にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村


posted by ahoujin at 21:18| Comment(2) | 遊郭(岐阜県)

2017年01月03日

2017年1月2日 岐阜県・岐阜市高岩町 岐阜芸妓検番付近






岐阜市・岐阜検番


あけましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

さて、お正月ということで、初詣で賑わう岐阜の町に友人と行ってまいりました。


岐阜市・八ツ寺町


木村聡先生の『赤線跡を歩く【完結編】』に再録されている「夜の女性街・全国案内版」によりますと、

岐阜 花街は三ヶ所に分れ、上の芸妓は伊奈波町、中の芸妓は高岩町から住吉町、弥八町、若宮町界隈、下は元金津遊郭内、併せて120軒、350名いる。

となっています。


岐阜市・住吉町


今回、せっかくなので”上”、”中”、”下”の三ヶ所すべて回ってみました。
今日は岐阜芸妓検番のある”中”、高岩町・住吉町・弥八町・若宮町付近の街並みをご紹介します。


岐阜市・美園町


なお、”下”にあたる、金津遊郭があったところ(今の西柳ケ瀬。金津園とは異なります)も、金津遊郭ができる前は高岩という地名だったようですが、今回訪ねた高岩町はそれとは別の場所になります。


岐阜市・西園町


下の写真の”満豊”さんは、鳳川妓連の公式サイト(金毘羅ふねふねが気になります)によりますと、「岐阜の花街で最後に残ったお茶屋」だそうです。
さらに、「お茶屋とは貸し座敷のことで、お客様の好みに合わせてどのようにでもご利用できます。」
と続きます。
吉原などでは遊郭のことを貸座敷といいましたが、文脈からすると、いわゆるレンタル・ルームのようなもののようですね。


岐阜市・高岩町満豊


弥八町・住吉町はスナック街という雰囲気でしたが(3枚目の写真が住吉町です)、高岩町付近は一転して料亭街となっています。
ぼくは料亭とは縁の無い人生を送ってきたので、料亭がどんなものかはよくわかりませんが(別に泣いてなんかいません><)、なんとなく高級な雰囲気が漂っているような気がします。


岐阜市・高岩町万平



下の写真は「八重菊」さんという表札がありました。
たぶん料亭だと思うのですが、三棟が連結したような大規模なつくりです。


岐阜市・高岩町八重菊


下の写真は個人の方のお住いのようなのですが、かなりいいオーラが出ています。
前回、紹介した吉原遊郭跡の「ゆうらく」さんと似た感じですよね。


岐阜市・西園町全景


岐阜の街をゆっくり歩いたのは今回が初めてだったのですが、高岩町付近に限らず、古い建物の宝庫で楽しめました。
愛知で「芸文」というと、栄にある近代的な県立の会館のことですが、岐阜の「芸文」はもっとすごいです。
今回は行けませんでしたが、次は生で見たいものです。


岐阜市・中


高岩町付近・行き方
最寄りのバス停は岐阜市役所南庁舎前です。
JR東海道線岐阜駅から12番・13番乗り場から岐阜バスで約8分。
徒歩でも20分〜30分ほどです。





参考ウェブサイト:

金津園ソープ徹底攻略・コラム〜岐阜のソープランドについて〜(超おすすめ!敷居が高いタイトルですが、実はこっち向きの内容。岐阜県の遊郭の変遷、細かく年代ごとに作られた古地図gifは感涙もの。このサイトを見てから行くべきでした!)
http://www.xn--3ck9bufn90ojcxm89b.com/column.html

レッツぎふ グルメ 万平(かの大島旅館とは・・・気になるところです)
http://g.lets-gifu.com/shop/index-4916.html

京まちづくりの会(西柳ケ瀬が「高岩」という地名だったことが書かれています)
http://blogs.yahoo.co.jp/gifukyoumachi/1913968.html

にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村





岐阜市・西園町
タグ:岐阜 建築 遊郭
posted by ahoujin at 15:35| Comment(2) | 遊郭(岐阜県)