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2020年02月24日

三重県・鳥羽市鳥羽 鳥羽赤線(遊郭)跡







鳥羽遊郭・三浦屋さんのあった通り
赤線時代はこの通りにも数軒の待合があった。


『ゴーストタウンみたいやろ』
『鳥羽は終わっているわ』
ぼくに話をしてくれた方々が口々に言いました。
確かに、静かな朝でした。
人通りのほとんど無い通りを斜めに照らす朝日は、古いトタンづくりの家のすみずみまでをあからさまに見せていました。
しもたやの閉まりきっていないシャッターの下の隙間からは、ごみがいっぱいに詰まった土間が見えていました。
音らしい音はありません。
ゴーストタウンというより、夢の中の街みたいだな、とぼくは思いました。


鳥羽・本町通のしもたや
本町通。この家に限らず、朽ちるままにされている家が多い。
鳥羽・本町通り。數寄屋があったあたり。
本町通り。數寄屋があったあたり。

ただ、ぼくが鳥羽を訪れたのは、正月二日の朝です。
多かれ少なかれ、どこの街も静かな朝を迎える日です。
『正月二日の朝ですから、仕方ないですよ』
ぼくの言葉に返事はありませんでした。
まるで、静かな朝は今日だけではないのだというように。


鳥羽・大里通り、白子屋を望む
大里通。正面にある袖看板のある建物が白子屋という妓楼だったという。
鳥羽・大里通り。白子屋とされる家のディティール。
大里通り。白子屋とされる家のディティール。


帰り道、線路沿いの道を通って鳥羽駅に向かいます。
紺色と柿色に塗り分けられた特急電車がぼくを追越していきます。この昔ながらの特急も、もうじき特急業務からは引退するとか。
時代は移るのです。


鳥羽・大里通り
大里通。松月、靜楽、津ノ国、政屋などが並んでいた辺り。


『!!』
どこからどこに行くひとたちなのか。
鳥羽駅は、人でいっぱいでした。
ぼくは夢から覚めたような気になったのです。


鳥羽・本町通り、大平楽のあたり
本町通。太平楽、金波があったあたり。


下の地図は、地元の方々からのお話を参考に作成いたしました(白子屋につきましては、一八堂さんの壁に貼ってある絵地図(地図の下の写真のものです)によります)。


鳥羽地図.jpg

鳥羽・本町通大里通あたりの絵地図
本町通。一八堂さんに貼ってあった絵地図。


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鳥羽・大里通り、赤いトタンの家
大里通。赤いトタンが印象的な家。







鳥羽・本町通り
(2020年1月2日)
posted by ahoujin at 16:22| Comment(0) | 遊廓(三重県)

2019年12月22日

三重県・鈴鹿市伊勢神戸赤線(遊郭)跡






伊勢神戸・常磐町
伊勢街道、常磐町。


伊勢街道の宿場町として栄えたのは昔のこと。
今は静かに余生を過ごしているような町、伊勢神戸に来ました。
かつて栄えた町の常として、ここにも遊郭があり、赤線がありました。


伊勢神戸・伊勢街道遊郭跡
伊勢街道。十日市。この通り沿いに妓楼が並んでいた。


赤線があったのは、伊勢街道沿いの十日市(2020.1.1追記:十日市場と混同していましたが、十日市と十日市場は別の場所でした)と常盤町です。
十日市の妓楼は、戦後は5軒でしたが、戦前にはもっとたくさんのお店が並んでいたそうです。
見たわけじゃないけどね、と笑いながら地元の方が教えてくれました。


伊勢神戸・太輸楼があったあたり
太輸楼があったあたり。


十日市にあったのは、伊勢方面から見ると、手前から太輸楼(たゆうろう)、大清楼(たいせいろう)、もみじ、村田、油伊(あぶい)です。


伊勢神戸・油伊の軒灯
油伊には軒灯が今も残る。


十日市で現存しているのは油伊のみで、ここは今も旅館として風格のある佇まいを見せています。
大清楼ともみじがあった場所には大型スーパーができており、もはや跡形もありませんし、太輸楼もかなり前に建て替えられ、村田さんは駐車場になっています。


伊勢神戸・村田があったあたり
右の駐車場のところに村田さんがあった。


さて、十日市から伊勢街道を桑名方面に向かいましよう。
橋を渡り、踏切をわたり、しばらく歩いたところに常盤町があります。
こちらにあったお店は3軒。


伊勢神戸・常磐町の街並み
伊勢街道常磐町の街並み


常磐町にあったのは、伊勢方面から、旭、中舎(なかや)、紙亭です。
こちらも現存しているのは一軒。紙亭のみです。紙亭は明治15年頃の建築であり、油伊同様、風格を漂わせています。加美亭旅館として近年まで営業していましたが、先代が亡くなられて廃業されたそうです。
なお、油伊も紙亭も鈴鹿市の登録地域景観資産のプレートがついています。


伊勢神戸・紙亭


下の地図は、地元の人に教えてもらった当時の様子をぼくが地図にしたものです。
もう少し、きれいに地図が作れたらよかったのですが(笑)


伊勢神戸・赤線地図


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伊勢神戸・十日市の商店
十日市の商店。







伊勢神戸・常磐町福屋
常磐町の商店。
(2019年12月21日)
タグ:旅館 三重 遊郭
posted by ahoujin at 19:18| Comment(4) | 遊廓(三重県)

2019年11月22日

三重県・津市一身田赤線(遊郭)跡







一身田・大勢楼


11月って、こんなに寒かったっけ?って思う寒い朝。
始発で名古屋を発ち、高田本山駅で降ります。
ここで降りたのは3人だけ。
日曜日の早朝なので、こんなものかもしれません。
無人の駅舎を出て振り返ると、大きな朝日が、踏切の向こうに上ってくるところでした。


一身田・高田本山駅の朝


寒々しい駅からの一本道をひたすら歩いて、10分ほどたったころ、小さな川に赤い橋がかかった場所に通りかかりました。
その橋のたもとに、ひとりのお姉さんが人待ち顔で立っていましたので、お尋ねしてみました。
『昔、このあたりに大勢楼ってお店ありませんでしたか?』
『たいせいろう!』
お姉さんの大きな声が帰ってきました。
『あったよー。あった。
あそこの角をあっちに(と、左に腕を振りながら)曲がると、ここと同じような赤い橋があるんさー。
その向こう側にあったよ!』
『大勢楼さんは、遊郭みたいなお店でしたか?』とぼく。
『そうそう。あのへんは遊郭だったよ』とお姉さん。
お姉さんは、他にも昔のことや今日のお祭りのこと(今日は一身田のお祭りの日でした)などいろいろ教えてくれました。
これから姉妹と待ち合わせてお祭りの準備に行くというお姉さんにお礼を言って別れたぼくは、先に歩を進めました。


一身田・遊郭に入る赤い橋


お姉さんが教えてくれたとおり、角を左に曲がり歩いて行くと、赤い橋がありました。
遊郭の手前に橋があることが多いのは、皆さんもご存じの通りですね。
もともと、一身田は古い街並みが多く残っているのですが、このあたりは特に古い家が残っている気がします。


一身田・橋向の街並み
妓楼ではないが、古い家が並ぶ。


ただ、古い建物が多すぎて、どれが大勢楼なのか、どれが妓楼跡で、どれが民家なのかわからないので困りました。どれも妓楼に見えてくるんですよね。
そんなときに、ちょうど家の前を掃除していらっしゃるお姉さんがいました。
お尋ねしてみたところ、お姉さんは大勢楼を知っており、教えてあげようと、ぼくの前に立って案内してくれたのです(こちらのお姉さんは、だいせいろうと言っていました)。


一身田・福勢楼のあったあたり


上の写真の右側の奥が福勢楼があったところです。
もうお店は取り壊してしまって広い駐車場になってしまっています。


一身田・妓楼だった家


そして、屋号は忘れてしまったそうですが、上の写真の家も妓楼でした。
二階の外れかけた雨戸から想像される通り、今は誰も住んでいません。


一身田・大勢楼の美しい姿


上の写真が、大勢楼。
ここは、なんと往時のままでした。
美しい佇まい。
見事な三層楼です。

下の写真、大勢楼の左が一月亭のあったところです。
もう、跡形もありません。


一身田・大勢楼と一月亭があったあたり


大勢楼の前には、いすずやさんという妓楼があったとお姉さんが教えてくれましたが、ここも跡形無しです。
いすずやさんはぼくにとって初耳の屋号でした。
橋のこちらからこのいすずやさんのところまでが、いわば遊郭でした。
ここでUターンして、もと来た方に戻ります。


一身田・妓楼だった家


あと、一軒、石寿楼というお店が一身田にはあったはずなので、お姉さんに聞いてみました。
すると、少し照れたように、
『ウチのことかな?』
と。
聞けばお姉さんの家も妓楼だったとのこと。
ただ、屋号は石寿楼ではない別の屋号でした(この時は気が付かなかったのですが、今思うと、いすずやが石寿楼なのかもしれません)。
『あの人も来たことがあるよ』
お姉さんの口から、とても有名な戦前の野球選手の名前が出てきました。


一身田・大勢楼


お姉さんの家は、なんと、築200年ぐらいの歴史のあるお店だったそうです。
でも、残念ながら取り壊してしまった後でした。
ちなみに、お姉さんが今も住んでいる家(店の後ろにあった)は築80年だとのこと。
大事に使っていらしゃるんですね。

いつの間にか、日が高くなり暑くなってきました。
お姉さんにお礼を言って別れると、ぼくは上着を脱いで、近くの神社に向かいました。
(2019年11月23日追記: 本文中では『いすずや』としておりますが、1965年の住宅地図によると美寿々家となっておりました。したがって、石寿楼とは別の妓楼のようです)


一身田・大勢楼


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一身田・寺内町の廃屋








一身田・妓楼に花が咲く
(2019年11月17日)
posted by ahoujin at 21:20| Comment(4) | 遊廓(三重県)

2019年11月16日

三重県・四日市市西新地 港楽園赤線(遊郭)跡







港楽園 三枡


久しぶりに四日市に来ました。
前に来たときは、国鉄の周遊券を利用しての旅行でした。
とんでもない昔のことです。

さて、『全国女性街ガイド』(カストリ出版)によれば、四日市には港楽園、春告園、港華園と3カ所の赤線があったといいます。
けれども、残念なことに春告園と港華園については、情報を集めきれず、どこにあるかがぼく自身確定できていません。
そういうわけで、今回は港楽園を歩いてきました。


港楽園の名前が残る電柱
港楽園の名前が残る電信柱がある。


ぼくにわかっている港楽園の屋号は以下の十四軒です。

蛭子
銀月
敷島
つくば
加茂川
歌月
水月
寿
錦水
第二寿
新杵
美駒
春駒
三枡


西新地・日活の映画館
現役の日活の映画館がある。


例によって、古い住宅地図を頼りに、街を歩きます。
とはいえ、四日市は大きな都市なので、昔日の街とはかなり様変わりしていそうです。
特に、港楽園は近鉄四日市駅に至近なので、さすがに当時の建物は残っていないのではないかとぼくが考えていたとしても不思議はないでしょう。


港楽園 雑居ビル


ところが!
港楽園と思われるあたりに来てすぐの路地に、ぼくに誘いかけてくる建物があるではありませんか!
それがトップのカラー写真の建物です。

灰黒色で塗りつぶされ、居酒屋の電飾看板を付けて印象を変えていますが、玄関わきのアールといい、窓枠の意匠といい、明らかにそれらしい風情です。
地図を見ますと、この建物があるあたりには三枡旅館という旅館がありました。
そして、港楽園には三枡というお店があったのは、前述の通りです。

思わぬ出会いに上気して写真を撮りまくっていると、この建物の玄関を開けようとする方がいらっしゃいました。
お声をかけてみると、ここは今は居酒屋だけど、古い旅館を改装して使っているとのことでした。
残念ながら、その方はこの旅館の元の屋号はご存じありませんでしたが…。
後刻、そのお店のブログを確認したところ、築60年の旅館を改装したと2017年の記事に書いてありました。
とすると1957年頃には、この建物はあったと思われます。
おそらく、ここが三枡で間違いないでしょう。


港楽園・三枡旅館跡
三枡旅館と思われる居酒屋。


古い住宅地図によれば、三枡旅館の奥にはクラブ花月があり、その奥に寿別館がありました。
今はビルが建っていますが…。
もしかしたら、花月は歌月であり、寿別館が第二寿だったかもしれません。
また、三枡の左斜め前には、寿司寿本店があり、右斜め前にはバー加茂がありました。
もしかしたら、寿司寿本店は寿であり、バー加茂が加茂川だったかもしれません。


港楽園・三枡周辺
三枡があったと思われる路地。


さて、三枡がある路地を出たところには旅館ゑびすがありました。
港楽園の組合長だった方がゑびすの経営者でしたが、ここがそのゑびすでしょう。
なお、現在、この付近一帯に同じゑびすという名前の大衆酒場グループがありますが、たまたま同名なだけで、港楽園のゑびすとは関係が無いようです。


港楽園・ホテル敷島
この付近に敷島があったと思われる。


上の写真のあたりにはホテル敷島がありました。
港楽園の敷島の後の姿でしょう。
そして、その奥、旅館春駒があったところには、まだ新しい東横インが建っていました。
赤線が旅館となり、その旅館の跡地に近代的なビジネスホテルが建つ。
決して珍しいことではありませんが、妙に心に残りました。


港楽園・東横インとゑびす
この付近にゑびすがあった。背後は東横イン

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西新地・料亭
西新地にある風情ある割烹料理店。







西新地・スナックひまわり
(2019年11月3日)
タグ:三重
posted by ahoujin at 21:23| Comment(0) | 遊廓(三重県)